「杉ヨガ」やりたいなぁ
「火の身になって、自分が火だと思って設計する。〜通り道を想像して、自分があの穴を通って天井まで行くという、そんな風に設計すれば大丈夫ですね。」
建築家・吉村順三の言葉です。
このことが、わかった気がしたことがあります。うちでヨガをしたときです。
杉の床は、ヨガや整体によいです。
・気持ちが落ち着く。
・身体がよく伸びよく曲がる。
・体内の代謝が促進される。
・鼻腔が開いて深い呼吸が促される。
身体にこういう変化が出るのは、細胞が安心して「ゆるみ」「ひらく」からなのでは、と考えています。
だから、リラックスして深く呼吸し、身体を伸ばしたりゆるめたりするのに、杉の床は向いている、と思います。
そんなわけで、去年3月にうちで試しにヨガ教室を催しました。(MAKOさん、その節はありがとうございました。)
静かに、深い呼吸をして、じっくり身体に意識を向けると、身体の血のめぐりや気のめぐりがよく感じとれるようになりました。
同時に、鼻がすごく効いて・・
うわっ、うちってこんなに木の香りがするんだ!と、驚きました。
普段は、香りに慣れてしまっていますが、そのときは、初めてうちに入ったかように新鮮に感じとれました。
そう感じたということは、ふだん、身体が鈍感になっているのかもしれません。
そしてもうひとつ、発見がありました。
うちは、よく気が通る!
身体が鋭敏になると、空間も敏感に感じとれました。客体としての空間を感じとるというより、自分が空間と一体化して感じとっている感じです。
うちは、家の端から端まで、よく気が通る。
そんなつくりになっている、と、わかりました。
さすが寺林さん!
(うちを一緒に建てた設計士さんです)
かつて、マンションの3LDKの仕切られた部屋になんとなく閉塞感を感じていたのは、そういうことだった気がします。
マンションの床に杉を敷いたら空間に満ちるものがあり、空間に抱いていたモヤモヤは解消しましたが、それでも間仕切りをなんとかしたかった。
端から端まで、気持ちよく「通し」たかった。
その、家の端から端まで、よく気が通る、という感覚が、冒頭の「火の身になって」という、吉村順三の言葉と私のなかでつながりました。
火が通る=気が通る、ではないか?
(建築に詳しい人から、違う意味だよ、と一蹴されるかもですが笑)
そう、ヨガをやってみたら杉の床や家の空間を敏感に感じとれて、これはうちでやるのに向いている、と思い、うちで1~2か月に1回くらいヨガの会がやれたらな、と思ったのです。
でも、やれずに(やらずに)1年半経ちました。
ただ、先日、鎌倉でたまたま出会ったヨガ講師さんたちと話して、やっぱりやりたいな、と思い、いまこれを書いています。
ここからは、ヨガの講師さんへの提案です。
「杉ヨガ」やりたいです。
木に手のひらで触れていると、ジーンと癒やされますが、そのときの心理状態によっては、大丈夫、という気持ちが湧くことがあります。
あれは、何なのか・・
身体と心が、杉から享受するものをじっくりと味わって、体感的理解を深めるようなことができたらなあ、と思うのです。
例えばですが、うつぶせで杉の香りをたっぷり吸いこんで味わったり、あおむけで杉の床を背中でじーっくり感じとって、そうすると杉から身体に明らかに何かが流入してくる感じがしますから、身体の隅々にめぐるものを集中して感じとってみるとか・・
あるいは空間にめぐるものを感じとったり、集う人との気のめぐりも、じっくり感じられたら・・
ど素人ながら、そんなイメージが湧きました。
裸足でアーシングしたり、森のなかでヨガをするのと方向性が似ている気がしますが、いかがでしようか?
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